2012年05月21日

G・ケイヒル

G・ケイヒル
ガリー・ケイヒル
(Gary CAHILL)

フルネーム  ガリー・ジェームズ・ケイヒル

国籍      イングランド

生年月日   1985年12月19日

出身地     シェフィールド

ポジション   DF(CB)

身長/体重  188cm/71kg

個人タイトル

チームタイトル 11/12FAカップ
          11/12UEFAチャンピオンズ・リーグ

所属クラブ   2004〜05 バーンリー
          2005〜08 アストン・ヴィラ
          2007〜08 シェフィールド
          2007〜12 ボルトン
          2011〜   チェルシー

ポジショニングに難がありますが、高くて強いフィジカルを武器に相手CFの攻撃をシャットアウトします。勇敢さを失わない姿勢は英国フットボーラーの典型といえます。

シェフィールドに生まれ、15歳でアストン・ヴィラの下部組織に入ります。プロデビューは期限付き移籍した2部バーンリーで果たし、アウェーのストーク戦でプロ初ゴールを決めるなど27試合に出場してクラブ年間最優秀若手選手になりました。シーズン途中にヴィラに復帰すると、4月1日アーセナル戦でプレミアデビューし、16日バーミンガム戦でバイシクルを決めました。
06/07シーズンは出遅れましたが、11月に復帰して以降はケガで離脱したラウルセンの穴を埋めました。翌シーズン開幕後に地元シェフィールドに期限付き移籍し、ストークとチャールトン相手にいずれも勝利につながるゴールを挙げました。
その後のボルトンでも先発出場を果たし、UEFA杯でもA・マドリー戦とスポルティング戦4試合に出場します。2年目は自己最多の33試合に出場し、サンダーランドとのアウェー戦で1ゴール1アシスト、ホームのトッテナム戦でも1アシストをマークしました。3年目も全コンペティションで7ゴールを挙げる活躍により、2年連続でクラブの年間最優秀選手に選ばれました。
2010年2月6日のフルハム戦直前のトレーニングで負傷し左腕に血餅ができて離脱、2年連続での30試合出場はなりませんでした。4年目もホームの古巣ヴィラ戦で2ゴールと攻撃でもチームに貢献するなど36試合に出場しました。しかし契約満了が近かったことからチームを離れることを示唆し、11/12シーズンの冬にチェルシーへ引き抜かれます。
リーグでは敗れはしますがマンチェスター・Cに一矢報い、FA杯ではレスター戦でゴールを挙げるなど優勝に貢献。チャンピオンズ・リーグでも決勝トーナメント以降5試合戦い、決勝では出場停止の主将テリーに代わって先発し、クラブ初のビッグイヤー獲得を果たしています。

U−20から代表招集を受けます。2009年6月にファーディナンドの代替え招集を受けますが、出場はなりませんでした。翌年9月3日ブルガリア戦で途中出場から初ゴールを決め、2012年欧州選手権予選に4試合出場しています。
代表記録

2012年05月18日

S・アンデルソン

S・アンデルソン
ソニー・アンデルソン
(SONNY ANDERSON)

フルネーム  ソニー・ダ・シルヴァ・アンデルソン

国籍      ブラジル

生年月日   1970年9月19日

出身地     ゴイアトゥーヴァ

ポジション   FW(CF)

身長/体重  181cm/75kg

個人タイトル  92/93スイスリーグ得点王
          95/96,99/00,00/01
          ディヴィジョンアン得点王
          96/97ディヴィジョンアン年間最優秀選手
          03/04UEFAカップ得点王(6得点)
          04/05カタールリーグ得点王

チームタイトル 89ブラジル全国選手権
          96/97,01/02,02/03リーグアン
          97/98,98/99リーガ・エスパニョーラ
          97/98コパ・デル・レイ
          00/01フランスリーグ・カップ

所属クラブ   1987〜90 ヴァスコ・ダ・ガマ
          1991〜91 グアラニ
          1992〜94 セルヴェッテ(スイス)
          1993〜94 マルセイユ(フランス)
          1994〜97 モナコ(フランス)
          1997〜99 バルセロナ(スペイン)
          1999〜03 リヨン(フランス)
          2003〜05 ビジャレアル(スペイン)
          2004〜05 アル・ラーヤン(カタール)
          2005〜06 アル・ガラファ(カタール)

身体的なバランスに優れ、ゴール前でも冷静に振る舞い、両足から正確にフィニッシュを決めるストライカー。実兄は読売クラブ(現東京V)や清水で活躍したFWトニーニョです。

ヴァスコ・ダ・ガマでキャリアを始めた通称「ソニー・アンデルソン」は、グアラニを経て92/93シーズンにスイスへ。ここではノイヴィルとの2トップでリーグを席巻して得点王に輝き、2シーズン目も途中まで17試合11得点と好成績を残してチームにリーグタイトルをもたらしました。
そしてマルセイユへ引き抜かれます。シーズン途中の加入で、フェラー、ボクシッチ、フットレと各国代表クラスがそろう厳しい状況をものともせず20試合16得点と結果を残しますが、チームが八百長を行ったとして3部降格のペナルティを受けました。
これに伴いモナコへ移籍します。23試合と思うようなプレーができなかったものの、11得点と面目を保つと、翌シーズンは21得点でリーグ得点王に輝きます。そして96/97シーズンはナイジェリア代表イクペバと共にネットを揺らし、チームにリーグタイトルをもたらしました。この働きは、若きアンリの成長にも大きな影響を及ぼしました。
97/98シーズン、ファン・ハール監督がバティストゥータと天秤にかけて獲得を決意したといわれるほどの期待を受けてバルセロナへ入団します。リーグ優勝には貢献したものの、23試合10得点と物足りない数字しか残せず、翌シーズンには監督の教え子クライファートの加入により出場機会が減少、2年でスペインでの生活に終止符を打ちました。
99/00シーズンにリヨンへ移籍。1年目に23得点、2年目に22得点を挙げて2年連続で得点王に輝き、理想のコンディションを取り戻します。01/02シーズンのクラブ初のリーグ優勝や翌シーズンの連覇に大きく貢献するなど、クラブの歴史にその名を刻みました。
03/04シーズンにビジャレアルに移籍すると、国内でコンスタントに得点を挙げ、UEFA杯でも得点王になってベスト4に進みました(ケジュマン、シアラー、ドログバと同数)。しかし僅か1年で終わり、04/05シーズンにカタールからの高額オファーを受け、デ・ブール兄弟と共にチーム力を上げました。05/06シーズンを最後に引退して古巣リヨンでコーチを務めています。

1987年のU−17世界選手権は2試合無得点でしたが、2年後のWユースでは6試合で3得点を挙げ、ビスマルクやフランサとの攻撃陣で3位になりました。1997年8月10日の韓国戦でフル代表デビューしますが、厚い選手層に阻まれ翌年のW杯メンバーからは落選。2001年コンフェデ杯ではワシントンやM・アウヴェスらと共にエントリーされましたが、カナダ戦で負傷して離脱、以後招集はありませんでした。
代表記録 6試合1得点
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2012年05月04日

E・バレット

E・バレット
エドガル・バレット
(Edgar BARRETO)

フルネーム  エドガル・オスバルド・バレット・カセレス

国籍      パラグアイ

生年月日   1984年7月15日

出身地     アスンシオン

ポジション   MF(CMF)

身長/体重  182cm/78kg

個人タイトル

チームタイトル 04アテネオリンピック銀メダル
          11コパ・アメリカ

所属クラブ   2001〜03 セロ・ポルテーニョ
          2003〜07 NEC(オランダ)
          2007〜09 レッジーナ(イタリア)
          2009〜11 アタランタ(イタリア)
          2011〜   パレルモ(イタリア)

正確な右足のキックが武器で、遠目からのミドルや縦パス、プレースキックで攻撃をリードします。テクニシャンでありながら、ハードワークをいとわないのも特筆すべき部分です。

国内強豪セロ・ポルテーニョでプロのキャリアを始めます。3年目に20試合4得点と頭角を現し、国際舞台での活躍もあってヨーロッパへの移籍を果たします。NECでは即戦力として活躍し、通算95試合10得点の成績を残しました。
07/08シーズンにレッジーナと4年契約を結び、8月26日アタランタとの開幕戦でセリエAにデビュー。年明けのアタランタ戦で初得点を決め、その後ミラン相手にも一矢報いるなど自己最多の36試合に出場し、瞬く間にチームに不可欠の存在となります。2年目もボローニャとの両試合で得点を挙げますが、チームがBに降格したためアタランタに移籍します。
1年目はリヴォルノ戦で負傷、以降の試合を棒に振ってチームも降格します。そしてチームに残りBを制して1年でAに復帰しました。パレルモでは、インテルやラツィオ、ウディネーゼといった上位相手に決定的な仕事を見せ、チームに勝ち点をもたらしています。

2001年U−17世界選手権で3試合、2年後のWユースで4試合プレーしするなど早くから頭角を現します。2004年アテネ五輪では日本を下すなど6試合戦い銀メダルを獲りました。
フル代表デビューは2004年7月8日コスタリカ戦。コパ・アメリカにもエントリーされ、同大会に3大会連続出場、2011年大会は決勝戦など3試合戦って準優勝になりました。
W杯は2006年大会予選で7試合、本戦で2試合に出場。2010年大会は14試合とレギュラーとして活躍し、本大会でも3試合プレーしてパラグアイ初のベスト8進出を果たします。日本とのPK戦を制した後は、失敗して号泣する駒野を慰めました。
代表記録

2012年04月27日

ドゥンビア

ドゥンビア
セイドゥ・ドゥンビア
(Seydou DOUMBIA)

フルネーム  セイドゥ・ドゥンビア

国籍      コートジボワール

生年月日   1987年12月31日

出身地     ヤムスクロ

ポジション   FW(CF)

身長/体重  179cm/74kg

個人タイトル  05コートジボワールリーグ得点王
          08/09,09/10スイスリーグ得点王

チームタイトル 

所属クラブ   2003〜03 A・アジャメ
          2004〜04 ASECアビジャン
          2005〜05 D・オディエンネ
          2006〜07 柏(日本)
          2008〜08 徳島(日本)
          2008〜10 ヤングボーイズ(スイス)
          2010〜   C・モスクワ(ロシア)

強さ、速さ、しなやかさと三拍子そろった身体能力で相手エリアに侵入し、高い決定力を見せつけるストライカー。好きなサッカー選手は同胞の英雄ドログバです。

多くの他のコートジボワール代表の面々と同様、ジャン=マルク・ギユーが設立したASECアビジャンで成長します。デンゲレ時代は15得点で得点王に輝き早くもその才能を示しました。
その後Jリーグ柏に入団し、2006年6月7日神戸戦でリーグデビュー。自身は無得点でしたがJ1に昇格し、初得点も同じ神戸戦で翌年5月26日となります。しかしフランサが1トップを務めていたため思うような出場機会を得られず、翌シーズンに徳島へ期限付き移籍します。
ここでは背番号10をまかされ16試合7得点と結果を残し、スイスのヤングボーイズに引き抜かれます。2008年9月18日のUEFA杯C・ブルージュ戦で移籍初出場すると、いきなり得点を挙げて役割を果たします。国内リーグでも4度の1試合2得点や5試合連続得点を決めました。2年目も開幕から4試合連続得点を挙げ、ハットトリックも3度達成するなど驚異的な決定力を見せて2年連続で得点王に輝きますが、チームはいずれも2位に終わりました。
10シーズンにC・モスクワへ移籍し、8月1日S・モスクワ戦でロシアリーグデビュー。国内ではゼニトや本拠S・モスクワ戦で得点を挙げ、ヨーロッパリーグでもスパルタ・Pやパレルモといった難敵から1試合2得点と結果を残してラウンド32になりました。2年目はリーグが長丁場となりますが、アンジ戦など4度の1試合2得点にS・ナリチク戦でのハットトリックなど、得点王の最右翼となります。チャンピオンズ・リーグでも7試合に出場し、フランス王者リール相手の1試合2点やインテルからなど通算5点を挙げて決勝トーナメントに進出しました。

U−19などを経て、2008年5月24日キリン杯日本戦でフル代表デビュー。2010年W杯では予選ギニア戦、本選では北朝鮮戦と1試合ずつプレーしています。
代表記録

2012年04月23日

ロイス

ロイス
マルコ・ロイス
(Marco REUS)

フルネーム  マルコ・ロイス

国籍      ドイツ

生年月日   1989年5月31日

出身地     ドルトムント

ポジション   MF(RMF)

身長/体重  180cm/70kg

個人タイトル

チームタイトル

所属クラブ   2007〜09 ロート・ヴァイス・アーレン
          2009〜   ボルシアMG

縦への鋭いドリブルでのチャンスメークから、高精度かつ強烈なミドルでフィニッシュワークにも定評のあるアタッカー。右サイドをベースに前線で幅広く動いて相手の脅威になります。

地元ドルトムントのユースで技術に磨きをかけますが、トップ昇格を果たせずロート・ヴァイス・アーレンでプロのキャリアをスタートさせます。1年目は16試合に終わりましたが、クラブの2部昇格に貢献し、2年目は主力としてMFグロスクロイツと共にチームをけん引しました。
09/10シーズンにボルシアMGと4年契約を結び、8月9日ボーフム戦でブンデスリーガにデビューします。当初はサブでしたが、本拠マインツ戦での初得点もあって徐々にスタメンに定着し、アルジェリア代表マトムールやアメリカ代表ブラッドリーと2010年W杯に出場する実力派と中盤を組み、シャルケ、ブレーメン、バイエルンなどからチーム最多の8点を挙げます。
2年目もニュルンベルクとの開幕戦でイドリスの同点弾を演出してチームを敗戦から救い、中盤にはバイエルン、ドルトムント、マインツと上位陣から相次いで得点をマーク。ボーフムとのプレーオフでも2ndレグで同点に持ち込み、チームの1部残留に大きく貢献しました。
3年目はアランゴとの連係も深まり、国内カップで5試合3得点を挙げます。リーグでも本拠ブレーメン戦でハットトリックを見せ、バイエルン、シュツットガルト、シャルケ、レヴァークーゼンといった上位に一人で試合を決める攻撃力を発揮し、チームをチャンピオンズ・リーグ出場圏内に浮上させます。これにより12/13シーズンのドルトムント復帰が決まっています。

2009年8月に初選出されたU−21を経て、翌年の欧州選手権となる2011年10月7日トルコ戦にてフル代表デビューを果たしています。
代表記録

2012年04月05日

J・オルソン

J・オルソン
ヨナス・オルソン
(Jonas PLSSON)

フルネーム  ヨナス・オルソン

国籍      スウェーデン

生年月日   1983年3月10日

出身地     ランズクルーナ

ポジション   DF(CB)

身長/体重  195cm/85kg

個人タイトル

チームタイトル

所属クラブ   2002〜05 ランズクルーナ
          2005〜08 NEC(オランダ)
          2008〜   WBA(イングランド)

圧倒的なフィジカルで人への対応には絶対の自信を誇り、最終ラインに落ち着きをもたらします。また、強力なフィードでカウンターの起点にもなるスウェーデン代表のストッパーです。

地元ランズクルーナでプロ生活をスタートさせます。2年目から出場機会に恵まれ、コンスタントに結果を出してNECに入団。2005年8月14日ユトレヒト戦でのオランダデビュー以降全試合にスタメン出場し、瞬く間にチームに欠かせない存在となります。2年目には本拠ユトレヒト戦で移籍初ゴールを挙げ、3年目もリーグではフェイエノールト戦など3ゴールを挙げ、ヨーロッパカップ戦出場権を懸けたプレーオフのNAC戦1stレグでも2ゴールを挙げる活躍を見せました。
そしてWBAに移ります。2008年9月13日ウェストハム戦でプレミアリーグにデビューし、3戦目のボロとのアウェー戦で決勝点を挙げるなど出場した試合すべて先発と、素早くプレミアになじんだものの降格となりました。しかしチームに残り、ニューカッスル相手にリーグとFA杯双方でゴールを挙げるなど43試合とフル稼働を見せて1年でのプレミア復帰に貢献します。
10/11シーズンはスペイン代表パブロの加入がありましたが、2節以降先発の座を取り戻し、本拠バーミンガム戦でゴールを挙げて勝利に貢献。アキレス腱を負傷して離れた時期もありましたが、副将という責任を背負い2ヶ月で復帰。ニューカッスルとの最終節では2点を演出して3−3と壮絶な打ち合いをドローで終え、クラブ最高の11位と結果をのこしました。翌シーズンも絶対的な存在となり、アストン・ヴィラとのアウェー戦で同点ゴールを挙げています。

主力だったU−21を経て、2010年6月2日ベラルーシ戦でフル代表にデビュー。2012年欧州選手権予選では招集こそされたものの、出番はありませんでした。
代表記録

2012年03月27日

ステインソン

ステインソン
グレタル・ステインソン
(Gretar STEINSSON)

フルネーム  グレタル・ラフン・ステインソン

国籍      アイスランド

生年月日   1982年1月9日

出身地     シグルフィヨルズル

ポジション   DF(RSB)

身長/体重  189cm/78kg

個人タイトル

チームタイトル

所属クラブ   1999〜04 アクラネース
          2004〜06 ヤング・ボーイズ(スイス)
          2005〜08 AZ(オランダ)
          2007〜   ボルトン(イングランド)

高い位置で敵を抑えショートカウンターに持ち込む長身の右SB。比較的守備に重点を置きますが、攻撃参加のタイミングが絶妙で、多くの決定機に絡みます。

シグルフィヨルズル、アクラネースと国内リーグで実績を積み、04/05シーズンにスイスへ渡ります。ここでもサブの域を出ませんでしたが、2年目開幕後にAZに引き抜かれます。
2005年9月18日アヤックス戦でオランダリーグにデビューし、翌月のウィレム戦で初ゴールを挙げるなどシーズン合計4ゴールと攻撃力を垣間見せます。また、UEFA杯でも7試合戦いました。2年目もUEFA杯では11試合1ゴールでチームの準々決勝進出に貢献しました。
3年目はレギュラーとなりUEFA杯にも5試合出場しますが、シーズン途中にボルトンに引き抜かれます。2008年1月19日ニューカッスル戦でプレミアデビューし、アーセナルやスパーズといったロンドン勢相手に味方のゴールをおぜん立てしました。
08/09シーズンは開幕ストーク戦でゴールを挙げて勝利に貢献し、通算5アシストを見せるなど先発の座を絶対的なものにします。その後2シーズンはベンチで過ごす時期もありましたが、11/12シーズンに再び先発メンバーに名を連ね、リヴァプールとのホームゲームでゴールを挙げチームの勝利に貢献。また、途中で入ってきた宮市とも縦の連携を築いています。

2002年3月7日ブラジル戦で代表デビューします。2006年W杯予選では6試合戦い、ブルガリアとのアウェー戦でゴールを挙げました。
2008年欧州選手権予選は11試合、2010年大会予選も7試合に出場するなど主力に定着した感がありましたが、2012年欧州選手権予選は2試合の出場に終わりました。
代表記録

2012年03月23日

ルジェリ

オスカル・ルジェリ
(Oscar RUGGERI)

フルネーム  オスカル・アルフレッド・ルジェリ・ゾコラ

国籍      アルゼンチン

生年月日   1962年1月26日

出身地     ロサリオ

ポジション   DF(CB)

身長/体重  183cm/82kg

個人タイトル  91南米年鑑最優秀選手(エル・パイース紙)

チームタイトル 81,85/86アルゼンチンリーグ
          86FIFAワールドカップ
          86コパ・リベルタドーレス
          86FIFAインターコンティネンタル・カップ
          89/90リーガ・エスパニョーラ
          91,93コパ・アメリカ
          95アルゼンチン後期リーグ

所属クラブ   1980〜86 ボカ
          1985〜88 リーベル・プレート
          1988〜89 ログロニェス(スペイン)
          1989〜90 R・マドリー(スペイン)
          1990〜92 ベレス
          1991〜92 アンコーナ(イタリア)
          1992〜93 アメリカ(メキシコ)
          1993〜97 サン・ロレンソ
          1997〜98 ラヌース

闘志あふれるマーキングと高い集中力でチームをけん引したアルゼンチン代表キャプテン。「カベソン=デカ頭」のニックネームは頭の大きさだけでなくヘディングの強さに由来しており、守備面では無論、攻撃面でも高い威力を誇ります。

ボカでプロ生活を始め、マラドーナと共にチームの中核として活躍、1981年にはリーグ優勝を達成します。1985年にライバルのリーベルへ移籍してリーグ優勝を達成するだけでなく、リベルタドーレス初制覇、インターコンティネンタル杯でもS・ブカレストを下し、代表でのW杯も含めて1年で4つもタイトルを獲得。GKプンピードと共に後方からチームを盛り立てました。
1988年にスペインへ渡り、9月3日A・マドリー戦でリーガデビュー。34試合と即戦力として働き、ドン・バロン誌主催のシーズン最優秀外国人選手に選出されました。
これを受けて翌シーズンにはR・マドリーへ引き抜かれ、サンチスやイエロと共に守備陣を構築。シュスターやブトラゲーニョ、H・サンチェスといった攻撃陣の能力を生かし、「ハゲワシ世代」の一員としてリーグ優勝を達成。このシーズンをもってスペインを後にしました。
1991年には南米年間最優秀選手に選ばれます。これは1975年にチリのエリアス・フィゲロア以来DFとしては2人目の受賞者となったのです(当時はエル・ムンド紙が主催)。
その後イタリア、メキシコと渡り歩き、サン・ロレンソ時代の95/96シーズンには後期リーグ優勝を果たしました。引退後は古巣サン・ロレンソなどで監督を務めています。

1983年5月12日チリ戦で代表デビュー。3年後のW杯では7試合ピッチに立ち、韓国戦で点を取るなど優勝に貢献。その後2度のW杯でも準優勝とベスト16になりました。
コパ・アメリカでも1991年、1993年大会で優勝するなど多くの栄光に浴し、2000年にシメオネに更新されるまでの代表最多出場記録を保持していました。
代表記録 98試合8得点

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2012年03月19日

ネグレド

ネグレド
アルバロ・ネグレド
(Arvaro NEGREDO)

フルネーム  アルバロ・ネグレド・サンチェス

国籍      スペイン

生年月日   1985年8月20日

出身地     マドリード

ポジション   FW(CF)

身長/体重  186cm/79kg

個人タイトル

チームタイトル 09/10コパ・デル・レイ

所属クラブ   2004〜05 R・バジェカーノ
          2005〜07 R・マドリー
          2007〜09 アルメリア
          2009〜   セビージャ

高さと強さとうまさの3拍子が揃い、抜群の決定力を備えた左利きのストライカー。ポストプレーヤーとしても機能する利他的なメンタリティも特徴です。

マドリード生まれ。地元R・バジェカーノの下部組織で成長し、04/05シーズンからプロキャリアをスタートさせ、12試合に出場した後R・マドリーに引き抜かれます。2年目には40試合で18ゴールとストライカーとしての役割を果たしましたが、トップチーム昇格はなりませんでした。
07/08シーズンに1部に昇格したアルメリアに移籍。8月26日デポルティボ戦でのリーガデビューを自らゴールで飾り、続くバレンシアと2節連続ゴールを見せます。
エメリ監督に1トップを託され、パラグアイ代表J・ドス・サントスとホットラインを築き、2月2日には古巣R・マドリーからゴールを奪って勝利し、終盤のセビージャとのアウェーゲームでは2ゴールを挙げるなど合計12ゴールを挙げ、いきなりチームを8位に導きます。2年目も途中で就任したH・サンチェス監督の指導もあり、1試合2ゴールを4回、終盤には6節連続ゴールを挙げるなど破壊力が増し、バルセロナのアンリと並ぶ通算19ゴール(4PK)を挙げました。
09/10シーズンにセビージャと5年契約を結びます。違約金は112億円と巨額となり大きな重圧がかかり、L・ファビアーノやカヌーテといった実績ある面々とのポジション争いに身を投じます。当初はベンチスタートも多かったものの、バレンシアやA・マドリーといった実力派から1試合2ゴールを挙げ、チャンピオンズ・リーグでも本田圭擁するC・モスクワからゴールを奪い、国内カップでもデポルティボやバルセロナから勝利につながるゴールと要所で活躍しました。しかし2枚のレッドを受けた昨季に続き、この年も3枚のレッドと精神面のもろさを露呈しました。
10/11シーズンは、国内カップではビジャレアルなど1試合2ゴールを2度記録。ヨーロッパリーグでも優勝するポルト相手にL・ファビアーノのゴールを演出しました。その後彼が退団したため負担が大きくなりましたが、シャルケから加入してきたラキティッチのおぜん立てもあり、終盤には最終節R・マドリー戦含む4節連続ゴール(3試合が1試合2ゴール)と怒涛のラッシュを見せ、通算ゴール数を20の大台に乗せます。ヨーロッパリーグでも6試合で1ゴール3アシストと決定的な仕事を多く見せて決勝トーナメントに進みました。翌シーズンはゴールに恵まれず、チームも低迷しています。

2009年10月10日アルメニア戦でフル代表デビュー。続くボスニア・H戦では2ゴールを挙げるなど2010年W杯予選で結果を残しましたが、23人枠からは外れました。
2012年欧州選手権予選はリヒテンシュタイン戦のみですが、2ゴールを挙げています。
代表記録

2012年03月10日

渡辺正

渡辺 正
(Masashi WATANABE)

フルネーム  渡辺 正

国籍      日本

生年月日   1936年1月11日

出身地     広島県広島市

ポジション   FW(RWG)

身長/体重  170cm/63kg

個人タイトル  68日本サッカーリーグベストイレブン

チームタイトル 63,64全日本実業団選手権
          64天皇杯
          68メキシコオリンピック銅メダル

所属クラブ   1965〜71 八幡製鉄

後世に語り継がれるメキシコ五輪3位の日本代表。日本人としては胴が短く手足が長い稀有な体形の持ち主で、ボールの落下点を読んでルーズボールに対応します。
縦へのスピードとアグレッシブな性格で試合の流れを変え、代表ではクラブの僚友宮本輝からのスルーパスに反応するのがゴールパターンのひとつとなっていました。

広島市生まれ。国泰寺中学から基町高に進んで卒業後に八幡製鉄(後の新日鉄)に入団。一度立教大に籍を置いて関東大学リーグを制し、1961年に会社に復帰します。
翌年から都市対抗を制し、続く1963年からは全日本実業団選手権を連覇、天皇杯も制する(古河電工と同時優勝)などMF宮本輝と共にクラブに黄金時代をもたらしました。
1965年に日本リーグが開幕し、初年度は2位となります。しかし当時はMF小城、桑田、FW松本、桑原楽と代表選手を多く擁する東洋工業(後のマツダ、現広島)が4連覇を達成する程の圧倒的な強さを見せていたため、タイトルには手が届きませんでした。
68シーズンにコーチ兼任となり、翌69シーズンからPMと徐々に後進への指導にシフト。71シーズンで引退して正式に監督として引き続き指揮を執り、クラブの発展に力を尽くしました。
その後は代表入りし、フル代表のコーチやユース代表監督を務めた後、1980年5月からフル代表の監督に就任します。しかしくも膜下出血で倒れ、志半ばにして辞任しました。
病から回復した後は再び現場に復帰しましたが、1995年に59歳で亡くなりました。11年後の2006年に殿堂入りを果たしています。
JSL:79試合19得点

1958年12月28日マラヤ(現マレーシア)戦でのフル代表デビュー以来、5試合連続ゴールを挙げて定着。ローマ五輪予選や1962年W杯予選ではノーゴールに終わりました。
2度目の出場となった1961年ムルデカ大会では、2戦目のインド戦でゴールを挙げて勝利に貢献。2年後の同大会でも3試合連続ゴールと大会との相性の良さを見せました。
やがて釜本や杉山、松本といった若手が台頭してポジション争いがし烈になりましたが、東京五輪でベスト8になります。メキシコ五輪でもブラジル戦では試合終了間際に松本と交代でピッチに入り、わずか2分でスライディングボレーをたたきこむと、続くフランス戦でも釜本のポストプレーからゴールを挙げて銅メダル獲得に貢献しました。
1970年W杯予選では2試合に出場し、オーストラリアからゴールを挙げました。
代表記録 39試合12得点
プロフィール
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