2007年08月30日
上村
上村 健一(Kenichi UEMURA)
フルネーム 上村 健一
国籍 日本
生年月日 1974年4月22日
出身地 熊本県葦北郡
ポジション DF(CB)
身長/体重 180cm/74kg
個人タイトル
チームタイトル 94ファーストステージ
所属クラブ 1993〜03 広島
2004〜04 C大阪
2005〜05 東京V
2006〜06 横浜S&C
2007〜 ロッソ熊本
身長はごく普通ですが空中戦に自信を持つストッパー。1対1でも強さを発揮し、ハードなマークで相手を封じ込めます。またリーダーシップがあり、コーチングにも定評があります。
熊本県に生まれ、小学4年でサッカーを始めました。5年の時に広島などへの引越しが続きます。小学時代はFWでしたが、中学時代よりDFとしてプレーし、基礎を固めていきました。
中学時代、全国大会に出場して脚光を浴びる存在になります。その後松永高へ進学。特に強豪ではありませんでしたが、2年時に広島県国体選抜チームのメンバー入りを果たしました。
卒業後、地元広島に入団。7月14日アウェーのV川崎(現東京V)戦でJリーグ初出場。7月24日浦和戦でJ初ゴールを挙げました。翌94シーズンは故障で出遅れますが、復帰後、ステージ優勝を掛けた大一番の6月4日アウェー清水戦ではトニーニョを徹底マークして勝利に貢献。優勝しますが、自身はじん帯を損傷したためその場には立ち会えませんでした。
その後、ポポヴィッチやフォックスらオーストラリア代表勢と最終ラインを形成しますが度重なるケガに悩まされ、満足にプレーできない状況が続きました。リーグでは下位に沈む苦しいシーズンが続き、天皇杯では3度の決勝進出を果たすもののいずれもタイトルを逃しました。
とはいえ、99,00シーズンはDFながらいずれもチーム2位となるゴール数を記録し、得点力を周囲に見せ付けました。
02シーズン開幕直前にも右ヒザじん帯を断裂し、チームも2部降格となりました。しかしその後奮起すると38試合に出場して、1部復帰に貢献しました。
しかし世代交代の影響で戦力外通告を受け、C大阪へ移籍します。広島での元同僚柳本と再び最終ラインで共にプレー。その後東京Vへ移籍しましたが2部降格となりました。
アマチュアでのプレーを経て、生まれ故郷のJFL熊本へ。Jリーグ昇格を目指しています。
西野監督によりアトランタ五輪予選に召集され、28年ぶりの本大会出場を果たしました。松田、田中誠、鈴木秀がレギュラーだったためサブとしてメンバー入りし、ハンガリー戦でゴールを挙げましたが得失点差でグループリーグ敗退となりました。
2001年4月25日、トルシエ監督によりスペインとの親善試合でフル代表デビュー。その後コンフェデ杯でもプレーしましたが、ケガによってW杯出場はなりませんでした。
代表記録 4試合0得点
フルネーム 上村 健一
国籍 日本
生年月日 1974年4月22日
出身地 熊本県葦北郡
ポジション DF(CB)
身長/体重 180cm/74kg
個人タイトル
チームタイトル 94ファーストステージ
所属クラブ 1993〜03 広島
2004〜04 C大阪
2005〜05 東京V
2006〜06 横浜S&C
2007〜 ロッソ熊本
身長はごく普通ですが空中戦に自信を持つストッパー。1対1でも強さを発揮し、ハードなマークで相手を封じ込めます。またリーダーシップがあり、コーチングにも定評があります。
熊本県に生まれ、小学4年でサッカーを始めました。5年の時に広島などへの引越しが続きます。小学時代はFWでしたが、中学時代よりDFとしてプレーし、基礎を固めていきました。
中学時代、全国大会に出場して脚光を浴びる存在になります。その後松永高へ進学。特に強豪ではありませんでしたが、2年時に広島県国体選抜チームのメンバー入りを果たしました。
卒業後、地元広島に入団。7月14日アウェーのV川崎(現東京V)戦でJリーグ初出場。7月24日浦和戦でJ初ゴールを挙げました。翌94シーズンは故障で出遅れますが、復帰後、ステージ優勝を掛けた大一番の6月4日アウェー清水戦ではトニーニョを徹底マークして勝利に貢献。優勝しますが、自身はじん帯を損傷したためその場には立ち会えませんでした。
その後、ポポヴィッチやフォックスらオーストラリア代表勢と最終ラインを形成しますが度重なるケガに悩まされ、満足にプレーできない状況が続きました。リーグでは下位に沈む苦しいシーズンが続き、天皇杯では3度の決勝進出を果たすもののいずれもタイトルを逃しました。
とはいえ、99,00シーズンはDFながらいずれもチーム2位となるゴール数を記録し、得点力を周囲に見せ付けました。
02シーズン開幕直前にも右ヒザじん帯を断裂し、チームも2部降格となりました。しかしその後奮起すると38試合に出場して、1部復帰に貢献しました。
しかし世代交代の影響で戦力外通告を受け、C大阪へ移籍します。広島での元同僚柳本と再び最終ラインで共にプレー。その後東京Vへ移籍しましたが2部降格となりました。
アマチュアでのプレーを経て、生まれ故郷のJFL熊本へ。Jリーグ昇格を目指しています。
西野監督によりアトランタ五輪予選に召集され、28年ぶりの本大会出場を果たしました。松田、田中誠、鈴木秀がレギュラーだったためサブとしてメンバー入りし、ハンガリー戦でゴールを挙げましたが得失点差でグループリーグ敗退となりました。
2001年4月25日、トルシエ監督によりスペインとの親善試合でフル代表デビュー。その後コンフェデ杯でもプレーしましたが、ケガによってW杯出場はなりませんでした。
代表記録 4試合0得点



