2007年01月19日
山口素
山口 素弘(Motohiro YAMAGUCHI)
フルネーム 山口 素弘
国籍 日本
生年月日 1969年1月29日
出身地 群馬県高崎市
ポジション MF(DMF)
身長/体重 177cm/72kg
個人タイトル 96,97Jリーグベストイレブン
チームタイトル 93,98天皇杯
95,98ダイナスティカップ
95アジアカップウィナーズカップ
所属クラブ 1991〜92 全日空
1992〜98 横浜F
1998〜02 名古屋
2003〜05 新潟
2005〜 横浜FC
攻撃にリズムを作ることができるゲームメーカータイプの守備的MFです。視野が広く、スペースまたはそこに走りこんだ選手に絶妙なパスを送ります。頭脳的なプレーが特徴で、巧みなポジショニングでスピードや運動量不足を補います。
兄の影響でサッカーを始め、小学4年から地元のサッカークラブに入りました。地元の中学を経て、強豪前橋育英高に入学し、攻撃的MFとして活躍。キャプテンに就任し、3年の時に全国選手権に出場しましたが1回戦で敗れました。その後東海大へ進学し、4年で2回全国を制しました。
大学卒業後の1991年に全日空に入社。そこで加茂周監督と出会い、ゾーンプレスを学びます。
1993年5月16日、開幕戦の清水戦でJデビュー。8月19日の浦和戦で初ゴールをマークします。FW前田、MF前園、エドゥーらが攻撃力を発揮できたのも自身の効率のよいプレーによるものでした。そして1994年1月1日の天皇杯でV川崎相手に大勝し、初タイトルを獲得しました。
95シーズンより、現役ブラジル代表のFWエヴァイール、MFジーニョ、サンパイオが加入。そのシーズンこそ低迷しましたが、連携が深まった翌シーズンは優勝争いを繰り広げました。特に中盤の底でコンビを組むサンパイオは、自身に多大な影響を与えたのです。
97シーズンは出場こそ少なかったものの、8月16日の鹿島戦でハットトリックを達成しました。
翌98シーズン、10月29日に所属している横浜Fの消滅が突如発表されると、自身も含めたイレブンが奮起します。残りのリーグ戦を全勝し、2度目の天皇杯を手にしますが、残念ながら消滅の憂き目に遭いました。
その後GK楢崎と共に名古屋へ加入し、新たなスタートを切ります。その堅実なプレーですぐに不可欠の存在になり、レギュラーを獲得。自身3度目の天皇杯のタイトルを手にしました。
03シーズンから2部の新潟へ移籍します。横浜F時代に共にプレーした反町監督が掲げるポゼッションサッカーの中心的存在となり、1部昇格に大きく貢献しました。
05シーズンに横浜FCに移籍。そして翌シーズン、代表で苦楽を共にした高木監督、城、カズ、小村と共に2部を制し、クラブ史上初の1部昇格に貢献。引退した城の後を継ぎ、監督よりキャプテンに指名されています。
1995年1月6日、ナイジェリア戦でフル代表デビューをスタメンで飾りました。かつて師事した加茂監督が代表監督を務めていたので、戦術を体現できる選手として欠かせない存在となっていきます。2月のダイナスティカップの韓国戦で初ゴールをマークしました。
1998年W杯予選は、途中で恩師加茂監督の更迭があったものの自身に対する信頼は揺るがず、全試合出場を達成。1997年9月28日、ホームの韓国戦でループシュートを決めました。残念ながら逆転負けに終わりましたが、今でも語り草となっています。その後初のW杯出場を決めました。
本大会は3戦全敗に終わりましたが、全試合フル出場を果たしました。
代表記録 59試合4得点
フルネーム 山口 素弘
国籍 日本
生年月日 1969年1月29日
出身地 群馬県高崎市
ポジション MF(DMF)
身長/体重 177cm/72kg
個人タイトル 96,97Jリーグベストイレブン
チームタイトル 93,98天皇杯
95,98ダイナスティカップ
95アジアカップウィナーズカップ
所属クラブ 1991〜92 全日空
1992〜98 横浜F
1998〜02 名古屋
2003〜05 新潟
2005〜 横浜FC
攻撃にリズムを作ることができるゲームメーカータイプの守備的MFです。視野が広く、スペースまたはそこに走りこんだ選手に絶妙なパスを送ります。頭脳的なプレーが特徴で、巧みなポジショニングでスピードや運動量不足を補います。
兄の影響でサッカーを始め、小学4年から地元のサッカークラブに入りました。地元の中学を経て、強豪前橋育英高に入学し、攻撃的MFとして活躍。キャプテンに就任し、3年の時に全国選手権に出場しましたが1回戦で敗れました。その後東海大へ進学し、4年で2回全国を制しました。
大学卒業後の1991年に全日空に入社。そこで加茂周監督と出会い、ゾーンプレスを学びます。
1993年5月16日、開幕戦の清水戦でJデビュー。8月19日の浦和戦で初ゴールをマークします。FW前田、MF前園、エドゥーらが攻撃力を発揮できたのも自身の効率のよいプレーによるものでした。そして1994年1月1日の天皇杯でV川崎相手に大勝し、初タイトルを獲得しました。
95シーズンより、現役ブラジル代表のFWエヴァイール、MFジーニョ、サンパイオが加入。そのシーズンこそ低迷しましたが、連携が深まった翌シーズンは優勝争いを繰り広げました。特に中盤の底でコンビを組むサンパイオは、自身に多大な影響を与えたのです。
97シーズンは出場こそ少なかったものの、8月16日の鹿島戦でハットトリックを達成しました。
翌98シーズン、10月29日に所属している横浜Fの消滅が突如発表されると、自身も含めたイレブンが奮起します。残りのリーグ戦を全勝し、2度目の天皇杯を手にしますが、残念ながら消滅の憂き目に遭いました。
その後GK楢崎と共に名古屋へ加入し、新たなスタートを切ります。その堅実なプレーですぐに不可欠の存在になり、レギュラーを獲得。自身3度目の天皇杯のタイトルを手にしました。
03シーズンから2部の新潟へ移籍します。横浜F時代に共にプレーした反町監督が掲げるポゼッションサッカーの中心的存在となり、1部昇格に大きく貢献しました。
05シーズンに横浜FCに移籍。そして翌シーズン、代表で苦楽を共にした高木監督、城、カズ、小村と共に2部を制し、クラブ史上初の1部昇格に貢献。引退した城の後を継ぎ、監督よりキャプテンに指名されています。
1995年1月6日、ナイジェリア戦でフル代表デビューをスタメンで飾りました。かつて師事した加茂監督が代表監督を務めていたので、戦術を体現できる選手として欠かせない存在となっていきます。2月のダイナスティカップの韓国戦で初ゴールをマークしました。
1998年W杯予選は、途中で恩師加茂監督の更迭があったものの自身に対する信頼は揺るがず、全試合出場を達成。1997年9月28日、ホームの韓国戦でループシュートを決めました。残念ながら逆転負けに終わりましたが、今でも語り草となっています。その後初のW杯出場を決めました。
本大会は3戦全敗に終わりましたが、全試合フル出場を果たしました。
代表記録 59試合4得点
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1. 群馬県の看護師求人情報 [ 看護師求人最前線 【群馬県の看護師求人情報】 ] 2007年01月22日 19:06
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